黄斑前膜

最近老眼が強くなった様に思って、老眼鏡を新しく作った。 しかし、相変らず細かな字...

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介護のこと

両親のその後

8日午後母の通院から帰った後、妹から連絡、ストレスで暴言が出るようになったと施設から連絡があった。妹からうまく対応してくださいと依頼。
介護度の変更申請をしたので、調査が19日に予定。申請した日から新しい介護度(多分介護3か4)になる。しっかり面倒見てもらうようにする。
18時半 母はベッドに入った。夜用の薬と座薬を出して、ベッド脇において帰る。

9日午前3時 母から電話、痛くて起きられない。到着したら、歩いていた。コタツで時間をつぶして、朝ごはんを食べて、会社へ行く(午前7時10分)。
午後1時30分 妹から連絡、母が施設を使いたいと連絡があったそうだ。職場の私にも同様の連絡が母からある。手配には時間が掛かると返答。催促の電話もある。
午後3時 妹から連絡、まほろばに今日から入れると回答あり。妹が4時に仕事を終えて行く。
午後4時、妹から連絡、ケアマネさんが母を迎えに行ったら、行かないと言い出したらしい。
母に電話したら、まほろばからも迎えが行き、覚悟が出来てゆくことになった。
午後5時、母から電話でまほろばについたと連絡がある。

10日午後3時 妹から連絡、父が入所している「きらら」から連絡があり、熱が出た。明日は篠塚病院が当番医なので受診させる。
妹が母のところへ毛布と薬を届ける。午後7時に看護婦に座薬を入れてもらい、夜の12時に痛み止めの飲み薬を飲ませてもらうように依頼。今日はお風呂に入れてもらったそうだ。
その足で、父のところへ行ったら、トイレに行き洗面所で動けなくなって固まっていた。妹が声をかけても「うるせいな」というだけで、妹のことがわからない様子だった。車椅子に座らせて、落ち着いたところでもう一度たずねると「娘だろ」と応えたが、名前はわからなかった。職員さんに便の始末をしてもらい、きれいになったところで話をしたが、声をかけても「そうかい」という感じでした。動きが途中で止まってしまうのはパーキンソン病の特徴。
車椅子からベッドに移すにも、自分では全く動けず、手伝おうとすると「噛み付くぞ、打つぞ」というような次第で、明日の受診も一人では無理と、病院まで送ってもらうことに。きららが病院へ9時半に送ってくれるので、その前に行き、受付を済ませる予定との事。

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65歳の誕生日を迎えて

今日で65歳になった。
60歳になった時に比べて特に節目を感じるわけではないが、年金の手続きをしたことが節目と言えるかもしれない。

仕事は未だ続けていられるので、厚生年金は支給を受けて、老齢基礎年金は支給延期を申請した。多少なりとも増額が期待できる。

昨年、両親が90歳になり、認知症の程度が進んできた。特に父は施設にショートステイで泊まってから、急激に進んだように思う。
父の症状は、アルツハイマー型との事だが、このところ、自己の行動を抑制する部分の欠如が強くなったように思える。看護婦さんの介助などを嫌がり、言葉での説明で理解せず暴力で抵抗するようになった。
昨年は歩行を手助けしようとすると手を振り払うようなしぐさをすることは有った。着替えなどで無理に手を出すと怒ることもあった。言葉での説明で必要だと言っても聞き入れないことがあったが、こちらが無理強いしなかったこともあり、暴力までは進まなかったのかもしれない。病院では点滴をしたり、オムツの交換や食事の世話などあらゆる介助が必要だが、それを拒否できることは無く、無理強いされるので暴力での拒否になったのだろう。
落ち着いている時は、会話が出来るのだが、興奮状態になると手に負えないだろう。
体が健康なだけに力は強いだろうし。聞き分けの無い駄々っ子で済めばかわいげが有るが、強情な頑固爺が暴力では病院側もやっていられない。
又、話の内容が支離滅裂になって、妄想などが強く出てきているようなときもある。病院の説明では譫妄というらしい。
それで、暴れていては検査も治療もままならないので、おとなしくする薬を使いたいと。ただ、この薬を使うと嚥下がうまく出来なくなって、誤嚥の可能性が高まるらしい。しかし、暴力が理由で病院から退院勧告を受けてもしょうがないので、様子を見ながら薬を使ってもらうことにした。

母はレビー小体型認知症と診断されていたが、比較的症状は軽く、父の介護をしていた。しかし、2月末に転んでから様子が変わったようだ。

2月26日月曜日
仕事中午前11時ごろ妹から電話があり、母が転んで起きられない、たまたまヘルパーさんが起こしてくれ、ケアマネージャーさんに連絡が行き、起こしてもらった。妹は研修で出られないので、私が駆けつける。
すねの打撲と擦り傷。擦り傷に絆創膏を貼り、湿布薬をその上に貼った。
洗濯物を干している時にふらついて、物干し台につかまったら一緒に倒れ、物干し台が足に乗っかったらしい。母が言うにはコンクリートの土台が足に乗ったというが…。母は座らせて、休ませて、洗濯をやり直し、デイサービスに行っている父の帰りを待った。
父が帰ってきてから、二人に夕食を食べさせ、父を着替えさせ、二人をベッドに入れて寝かせてから帰宅した。
27日、28日は何事もなく。
3月1日木曜日 午後7時47分、母から電話がある。ベッドに入って、テレビのリモコンを取ろうと体を起こしたら、腰が痛くなって動けない。助けてくれと言うので、急遽駆けつける。高速を使い9時ごろには到着しただろうか。動かそうとすると猛烈に痛むらしく、仕方ないので救急車を呼ぶ。救急隊員の方に病院への搬送を依頼する。くすの木病院は整形外科の先生が不在。藤岡総合病院はベッドが無くて受け入れ出来ない。高崎のサンピエール病院に決定、搬送してもらう。後を追いかけ、11ごろ病院へ到着、救急外来で診察を受けていた。レントゲンを撮りましょうということでレントゲン室へ移動したが、撮影の間も体を動かすと痛むらしく、痛い痛いと訴えていた。そこへ妹が到着。
整形外科の先生(後で名前を確認したら藤田先生)に様子を説明される。骨折はなさそうです。とりあえず、痛み止めを処方して入院しましょうと言うことでそのまま入院となる。
その日はそのまま帰宅。途中ファミマでパンとコーヒーで夕食。
3月2日金曜日
妹から電話で母が退院したいと言っていると連絡。直ぐに会社を出て病院へ向かう。途中でも母から電話で何時来てくれると何回か着信。2時ごろ到着して退院手続き。
父は、母が入院したため、朝妹が行っていつも通りデイサービスへ送り出し、そのままショートステイしてもらうことに。
母の夕食を食べさせ、翌日の朝食を準備して、薬を飲ませてベッドに入れてから帰宅。
3月3日土曜日
妹に見てもらう。
3月4日日曜日
朝早く(4:58)電話があり痛くて動けない、直ぐ来て欲しい。到着すると着替えていた、薬を飲ませる。立ってトイレに行く。朝食・昼食・夕食を世話して、午後7時に帰る。途中ファミマでコーヒー、花園のエネオスで給油。
3月5日月曜日
朝早くに母から妹へ電話。妹が行き世話をする。この日はデイサービスでまほろばへ行く。夕方電話で話を聞くと、まほろばの話をした。コタツで寝ると言って切れた。
3月6日火曜日
朝電話して様子を聞くと、ベッドに移って寝た、痛かったけれど起きられた。昼にも電話したが、変わった様子は無かった。午後4時に電話があり、会社から藤岡へ行く。携帯電話が見つからないと言うので探した。夕食を食べ、コタツに座らせて帰る。
3月7日水曜日
朝(5:55)電話があり、ブレーカーが落ちた。駆けつけて、ブレーカーを上げ、朝食を食べさせて仕事に行く。
家に帰って夕食後ゆっくりしていると、22時26分に電話がありトイレに行きたいが痛くて起きられない。急ぎ着替えて高速で行く。途中も何回か着信。到着するとベッドがぬれていた。着替えさせて紙おむつに取替え、空いている親父のベッドへ移動させた。ぬれたものを洗濯機にかける。自分はテレビの前で寝る。2時に起きてトイレ、紙おむつを紙パンツとパッドに交換。4時にもトイレ。
3月8日木曜日
朝食を食べさせて、通院。レントゲンを再度撮って確認。やはり骨折は無い。薬を処方してもらう。途中のウエルシア薬局で処方してもらう。帰り道マクドナルドで照り焼きバーガーを買う。入院している父を見舞う。父の姿にショックを受けた様子。家の戻ってハンバーガーを食べてお昼にする。
夕食はカレーを作り食べさせ、薬を小分けして用意し、飲ませる。帰る。
3月9日金曜日
朝3時に電話、痛くて立てない。到着すると立てていた。6時過ぎまで休んで、朝食を食べさせて、会社へ。

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先週土曜日に久しぶりにバドミントンの練習に行った。 始めてしばらくして、スマッシ...

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